白玉日記

40代女性が楽しく快適に過ごす方法を模索。でも若い子にも読んでほしい。

気になる変な日本語、ありませんか?

突然ですが、変な日本語に遭遇してニヤニヤすることってありませんか?私はある。先日、教員免許を持っていて、海外で日本語を教えていた経験をもつ親友と飲んでいて、話が盛り上がったのでいくつかネタを紹介してみたいと思います。

『ほぼほぼ』と『だいたい』の違い

これ、何年か前に海外から一時帰国したとき、お客さんと食事をしていて初めて聞いたことば。「ほぼほぼ終わってるんですがー」。

 

いや…私は『ほぼ』しか知らないけど、なにそれ?と心の中で驚愕したことを覚えています。これって『だいたい』と同じ意味だよね?

 

『ほぼ』を強調している感じ?なんでも『今年の新語2016』に選ばれたらしいじゃないですが。そうすると、それほど新しいとは言えないのかもしれないですね。

 

ただ、日本語の笑っちゃうところはこうやって突然発生した亜種みたいな言葉がそのうち辞書にも載って、なんとなく認められていくところです。

 

最近の日本語ってなんでも「断定を避けて婉曲に表現すること」が好まれてますよね。これもその一種なんだろうな。

 

こう言う表現が認められていること自体に異論を唱えるつもりはないけど、私個人としては仕事で使うのは避けたいと思っています。

 

『できかねます』

これも笑った言葉のひとつ。電話対応で「それはできかねます」って言っている人を見たことあるし、ネットショップなどでも「返品はできかねます」って堂々と書いているところがある。

 

『~かねます』というのは、もともと『できない』ことを婉曲に表現したもの。お客さんに、これはできないと言いたいなら『恐れ入りますが、そうした対応はいたしかねます』が正しいかと。

 

できかねます。っていうのはできない&できないのwパンチで『頭痛が痛い』とか『馬から落馬』などと同じおかしみがあるわけです。

 

ましてや『返品はできかねます』って誰が主語なのよ?と突っ込みたくなる。客が返品できないのか、ショップが返品対応をやらないのかどっちなのか、これじゃ分かりません。笑う。

 

『お電話変わらせていただきました!』

これはこのネタで盛り上がるときに、一番爆笑するフレーズ。誰にへりくだってるの?と言いたくなります。

 

ただ「させていただく」というのはシーンによって正しい時と間違っているときがあるんですよね。説明が面倒なので、こちらをご覧ください。

 

www.mdsol.co.jp

基準は

【1】相手または第三者の許可を得ているかどうか
【2】そのことで自分自身が恩恵を受けるのかどうか

 

らしい。なので、電話に出たら『お電話変わりました、◎◎と申します』でいいはず。あと、よくある『お昼休みをいただいております』も別にその相手からお休みをいただいているわけじゃないので『休憩に出ております』や『席を外しております』でOK。

 

へりくだればいいってもんじゃないんですね。

 

『感謝しかありません』

これもおかしみがある。感謝以外の感情は一切ない!と強調したいってこと??

 

「今やヤツには憎しみの感情しかない」(かつては好意も持っていたが、今はネガティブな感情しかない)なら分かるけど、唐突に『感謝しか』って言われてもなー。

 

「本当に皆さんには感謝しています」「なんといって感謝したらいいのか分かりません」とかの方がスマート。もしくは、ストレートに「ありがとうございます」でよくないか?

 

『私が愛してやまない』『僕が尊敬してやまない』

これもねー、笑っちゃう。私だけですかね?『~してやまない』は「止まない」という意味なのですが、自分の気持ちを表現するのに使うのおかしくない?

 

「私が愛してやまないコスメ」などと言われると片腹痛い。

 

この表現は過去に生きていた人とか、第三者のことを表現するときに使うと思ってました。『国民が愛してやまない音楽』のように、ずっと前から存在していて、愛され続けているものに対して、第三者が表現するときに使うのが自然なんじゃないかと思いますね。

 

僕が尊敬してやまない、と言いたいなら『僕が心から尊敬する』とか『出会ったときから尊敬している』のほうが自然。僕が尊敬してやまないってなんだか、恩着せがましく聞こえるのよね。

正しい日本語とは

前述したように、日本語の場合、こうした新しい表現は正しい表現として認められていきます。

 

私をはじめ、海外で生活していると海外にいる日本語を専攻している学生が日本人よりも正しい日本語を使っているシーンに出くわして衝撃を受けることがあるんですが、それって『俗にいう』日本語表現に触れることがないからなんですよね。

 

こうした言葉の変化ってどれも『断定を避けて婉曲に表現』したいからっていうのが理由であることが多いから、私や友達のように『正しい日本語』をゴリ押しすると、ときとして冷たく感じたり、『NHKみ(この表現もどうかと思うけど)』が強すぎてしまうことになりかねません。

 

ただ、やっぱり母国語だから、正しい形で残したいよなー。と思う気持ちもあります。こんなこと考えている人、他にいるかな?