このニュース、やっぱりなって感じですね。
以前、「介護士の社会的地位を高めるために」国がとった方針が「資格取得を難しくすること」というのをニュースで見て、やっぱり役人が考えることは違うな!と思いました。
もう、カタハラ痛いとしか言いようがないよね。それじゃ、なり手が減るに決まってるじゃん。
社会的地位の高い仕事といえば、なんといってもお給料がいいことでしょ?
人から感謝されるとか、自分のやりがいとかも大切だけど、まずはお給料でしょう。そこがまず保障されなくちゃ、質のいい仕事なんて望めるわけがない。
こういうこと決める人たちは自分たちが高給取りだから分からないのだろうけど、自分がそのお給料でその仕事をする気になるか、胸に手を当てて考えてみればいい。
ただでさえ家族を養えないほどと言われている低賃金なのだから、まずはそこに着手すべき。せめて普通の会社員くらいもらえるようにしなければ。
介護福祉士会、国試受験者半減で声明 研修義務化を擁護 「信頼獲得の土台」 of 介護のニュースサイト Joint
i以下、引用です。
例えば、処遇の改善は重要な課題ではあるが、質の確保が図られないままに処遇が改善されても、根本的な解決にはならない。提供される介護サービスの質を担保し、介護職に対する信頼や社会的評価を確保することこそが、量の確保を図るための本質的な解決策である。
ブフォッてなるよね。「質の確保なくして量の確保は困難」って、まるっきり逆じゃないの。量の確保しなきゃ、質の確保なんて到底むりじゃない。人が足りないんだから。
こういうこと言う人って本当に、現場の仕事をしたことがあるのでしょうか。
なぜこんな話題になったかというと、実は身近に介護の仕事をしている人がいて。
朝、8時過ぎに出ていって帰宅は18時くらい。車で通勤しているけれど、朝は洗濯物を干してから出かけ、帰宅後、夕食の準備。後片付け。
食事の後は仕事疲れでウトウトしながら、テレビを見て、お風呂に入ったあと、23時過ぎに資格取得のテキストを開く。(彼女はすでに介護福祉士の資格を持っているので、さらなる上の資格だけど)この繰り返し。お給料は…。ぼちぼち。お子さんが独立しているし、御主人も働いているから、それほど苦には思っていないみたいだけれど…。
はたから見ていると、本当に大丈夫なの?って思う。疲労度が。
同じ職場にはシングルマザーも多いと聞いた。
どこかで介護の仕事は誰でもできるって思われているみたいだけど、全然そんなことはない。でも、資格なしで始められて、仕事の量が多いという意味では、仕事につきやすい。
まずは幅広くなり手を増やして、そこから質を上げていくことを考えるべきじゃんじゃないのかなあと思うのですが。
偉い人の考えることに違和感を覚える
何日か前に新しい医学部が新設された大学のニュースをやっていました。
グローバルな分野で活躍できる人材を育てるとかで、授業を英語でするって聞いたけど、日本人同士で英語で話す意味ってどこにあるのか。しかもここはJapan。
語学の上達のために、現地では日本人だけで集まる時でも外国語で話せとか言う人もいるけど、それなんの意味もないから。留学経験ありますが、むしろ滑稽なだけです。
お寿司を食べたことない外国人が延々と自分たちの想像と本やネットで得た知識だけで、お寿司作って食べてるみたいなもん。間違いに気づけない。
アメリカのグーグルで働く日本人社員同士が英語で話しているのとはわけが違う。
医学が進んでいる国から招いた外国人講師の授業を受けるためってのなら話は別ですが。そもそも、グローバルな分野で活躍って、医師になるのにそこがとっかかりってなんだか違和感を感じます。研究者を増やしたいってこと…???
患者さんを治すというより、医学の発展が目的なのかなぁ。
なんだか今回の介護士の社会的地位向上のためにとった対策を聞いたときの違和感に似たものを感じました。