昨日、テレビを見ていて『ハロウィンと並んで定着しつつあるイースター』みたいなニュースをやってました。
ハロウィンと並べるのは結構失礼な気がする。それくらい、イースターというのはキリスト教徒にとって大切な日なんです。
とうとうイースターまで祝うようになったのか…。と愕然とした私。いやね、ハロウィンがいまだに何なのか、正確に理解していない私がいうのもなんですが、日本でイースターってのはいかがなものなのか。
でもまあ、イタリアに行った時もカトリック教徒である彼らが、ハロウィンの仮装を楽しみながら『いまだにハロウィンがなんなのか分かんねー』『俺も』という会話をしているのを聞いたことがあるので、どこでもそんな感じなのか。
そのヘン具合を例えるなら…。キリスト教徒がブッダの誕生日を祝うようなもの。私がヨーロッパに暮らしていた時、この復活祭とクリスマスの朝はもう朝から家の電話がジャンジャンなりっぱなし。
それは親戚のおばちゃんたちが
おめでとー!!!!
復活祭おめでとー!!!
というためだけにかけてくる電話で、ちょっと何がめでたいのか実感がわかない私にとっては違和感アリアリで「おめでとうございます…」と小さい声で返していた。
『イースター』というのはアングロサクソンの女神の名前らしいのだけど、復活祭としてイースターを祝うなら、最低限、キリストの復活について知っておくべきだと思う。
それが他宗教の祝日を祝うとき(こんなことするの日本人くらいかもしれないが)のリスペクトというものなのではないでしょうか。
そこで見ておきたい、カラヴァッジョの「エマオの晩餐」
以前、本で読んだところによると、イエス・キリストが磔にされた後、イエスが復活したことを信じていない弟子の前に現れて
「奇跡を目の前にしているというのに、預言者のことを信じられない愚か者めら」
みたいなことを言う…というエピソードがあって、それを現したのが、この『エマオの晩餐』という作品。弟子たちがキリストの復活に気づき、びっくりしている様子が描かれています。
どんな罪人でも許す、というイエス・キリストが弟子を愚か者呼ばわりする姿が意外でした。どんなシーンであるかは、是非、カラヴァッジョ展のページで「エマオの晩餐」の画像をご覧になってチェックしてみてください。
このエピソード、すごくうろ覚えで、改めて聖書を読んでみようかと思ったくらいなのだけど、実に!実に的確な現代語訳(?)をしているブログを見つけたので、最大の敬意をもって、引用させていただきたい。
ところで「エマオの晩餐」、これはキリストが磔になって3日め、
墓に居ねえ!天使いる!キリスト何処なん!?うわああなてんやわんやの時で、クレオパとその弟子は二人でちょうどそのことについて論じながら歩いていた
「墓に死体無かったらしいで しかも仲間の嫁が御使見た言うてんねん」
「あの人絶対メシアやったのになんで磔にしてもたん…」
「ほんまやわ…」
するとイエスが近づいてきて一緒に歩きつつ、
「何悲しんどんねん。預言者の言うこと信じひんとかめっちゃアホやな」
エマオに着くまで聖書全巻に渡るキリストに関する記述を二人に説教した。
それで気づいたら日が暮れてたので、
クレオパたちは自分たちのところにこの名も知らぬ旅人を招待する。
(ちなみに聖書ではあくまで二人が割りと強引に泊めたんだよと念押しが。)
晩餐の時 彼がパンを取って祝福し、パンを裂いた――
「ちょっ!!!!キリストやんッッッ!!!!」
本当にうまくオチていて、私はうなりました。これ、面白くて腹を抱えて笑ってしまったのですが、本当にこういうことが書いていあるんです。聖書に。
こんなキッカケから、聖書に興味を持って、キリスト教がどんなものなのか知っていく…。そんな形のリスペクトもあるのではないかと。
イースターの卵を買うなら、こんな話にも是非、興味を持って欲しいと思う。